憲兵ノルド王都ヴァレモント。主人公には名前も金も身分もない
王都ヴァレモント・中央市場通り
見知らぬ石畳の上に、あなたは立っている。名前も、金も、身分もない。人混みを縫って、革の胸当てをつけた憲兵が近づいてくる。
「どうしたお前、そんなところに突っ立って」
「名前は?」
ここはどこ?
ノルドは片眉を上げ、冗談を聞いたのか確かめるように周囲を見回した。だが、その服装にも目の据わらなさにも、悪ふざけの気配は見つからなかったらしい。
「王都ヴァレモントだ。ここは中央市場通りの南端。あのでかい城が霜柱宮——見りゃ分かると思ったが、本当に何も知らねえ顔だな」
通りの上には赤と白の布が幾筋も渡され、風を受けるたび、乾いた音を立ててはためいた。露店には串焼きや木彫りの剣が並び、鎧姿の旅人たちが宿の空きを巡って声を張り上げている。
(略)
「だが先に名前だ。こっちだけ名乗らせるのも癪だから言っとく。俺はノルド。市場と闘技場の辺りを見回ってる憲兵だ」
「明日から五日間、王都武術大会だ。各地の腕自慢が来てるし、王族も観覧に出る」
ノルドとの関係 知り合い Lv01 / 100 +1
そんなことより、お腹すいた
「大物なのか、ただ図太いのか分からねえな。まあいい。腹が空いてちゃ、まともな話もできねえか」
折よく風向きが変わった。炭火で脂の落ちる香ばしい匂いに、煮豆と香草の湯気が重なる。値札には銅貨十枚、十五枚と、品ごとに数字が書かれている。
「一番安いのは豆の煮込みだ。銅貨十枚。腹持ちなら向こうの黒パンが十五枚だな。銀貨なんぞ出すと、祭り目当ての店に釣りを渋られることもある。財布を見せびらかすなよ」
忠告する口ぶりはぞんざいだが、目は手元や衣服を改めて調べていた。荷物どころか旅に必要な道具すら見当たらないことが、彼にはどうにも引っかかるらしい。
「持ってねえなら、ただ飯をせびるより商会館へ行った方が早い。冒険者登録をすりゃ、荷運びや掃除みてえな雑用でも日銭になる」
ノルドとの関係 知り合い Lv02 / 100 +1
というか、どうせ話しかけられるなら可愛い女の子が良かったよ。がっかりだ
ノルドの眉間に、深いしわが一本刻まれた。市場のざわめきだけが妙に鮮明になる。彼はしばらくこちらを見つめ、それから自分の短い無精ひげを撫でた。粗末な鏡でも確かめるような仕草だった。
「悪かったな。巡回中の憲兵が、いちいちお前の好みに合わせた面で生まれてなくてよ」
「可愛い娘に声を掛けられたきゃ、まず道の真ん中で干からびかけるのをやめろ。王都は平和だが、腹を空かせた知らねえ奴へ飯を持ってくるほど都合よくはできてねえ」
(略)
「ほら、財布を確かめろ。次も顔の話をしたら、豆より先に説教を食わせるぞ」
ノルドとの関係 知り合い Lv01 / 100 −1
え、もしかして奢ってくれないの?
ノルドは一度だけ目を閉じた。こめかみを押さえる指に、革手袋がきしむ。
「奢らねえよ。初対面で人の顔にけちをつけた挙げ句、飯まで出させようってのか。王都の憲兵は迷子の保護はするが、横柄な食客を養う仕事じゃねえ」
言葉は手厳しい。それでも彼はその場を去らず、通りを横切ろうとした荷車へ片手を上げた。御者が手綱を引き、積み荷の麦袋から乾いた粉が二人の間へ薄く舞う。
「本当に一文無しなら話は別だ。商会館まで連れていって、今日中にできる雑用を探すくらいはしてやる。働いた分で食え。それなら誰にも頭を下げずに済む」
(略)
「財布があるかどうか、それだけは正直に答えろ」
ノルドとの関係 知り合い Lv00 / 100 −1
ヴァレモント王女 リン王都ヴァレモント。婚礼の当日
王都ヴァレモント・霜柱宮
霜柱宮は、まだ夜も明けきらぬうちから物々しい活気に包まれていた。二日にわたって続いた花飾りの支度、諸侯への触れ、料理番たちの下拵え——そのすべてが積み重なり、ついに婚礼の朝を迎えている。
リンの私室は、朝の光と共に慌ただしい。侍女たちが最後の花飾りを運び込んでは去っていき、扉の外では警護の靴音が絶えず行き交っている。リンはまだ普段着のまま鏡台の前に座り、昨夜まとめた誓いの紙を抽斗からそっと取り出して両手で抱いた。
「これ、ちゃんと持ってます。式で読み上げる時、緊張で声が震えないか心配で……昨日の夜、何度も練習してしまいました」
「支度が始まる前に、少しだけ――二人で話す時間、ください」
もちろん
抱えていた誓いの紙をそっと鏡台の上へ置き、両手が空になる。リンは肩に頭をもたせかけ、目を閉じた。
「よかった。今日だけは、いつも通りの君と少し話したくて」
(略)
扉の外を侍女の足音が何度か通り過ぎていく。まだ呼ばれてはいない。
「今日から、ずっと隣にいてくれますよね」
リン との関係 婚約者 Lv315 / 100 +3
あぁ、約束する
リンの瞳が一瞬大きく見開かれ、それから堪えきれないように潤む。
「――ずるいです。こんな、支度の直前に、そんな顔で言うなんて」
慌てて目元を指先で拭い、深呼吸を一つしてから、いつもの凛とした姫の顔を取り戻そうとする。しかし完全には隠しきれない笑みが頬に残ったままだった。
「行ってください。ここからは、わたし一人の戦場なので」
南大門は、婚礼の一報がとうに広まっているのだろう、いつもの旅装の列に混じって花を抱えた娘たちや、祝いの垂れ幕を運ぶ職人たちの姿が目立つ。石畳を踏むと、露店の炭火の匂いと、遠くの大聖堂から漏れ聞こえる鐘の試し打ちが、同時に鼻と耳へ届いた。
門を抜けてきた旅人が、垂れ幕を見上げて連れに「今日だってな、王女様の」と話しているのが小さく聞こえる。着付けを抜け出してきたリンが、耳を赤くして袖をそっと引いた。
「大聖堂まで、一緒に歩いてくれますか」
そうだね、歩こう。
大通りは旗と花で埋め尽くされていた。花売りの少女が抱えていた白い花束から一輪だけ抜き取り、駆け寄ってくる。
「王女様、おめでとうございます……! これ、よかったら」
リンは驚いた顔をしたが、すぐに膝を折って少女と目線を合わせ、丁寧に花を受け取った。
「ありがとう。大切にします」
短いやり取りに、周りの大人たちから小さな拍手が起こる。
「今日はもう、隠れる必要がないんですよね。……変な感じです。ずっと変装して歩いていた道が、こんなに違って見えるなんて」
「緊張、してきました。……手、繋いでもらってもいいですか。人前でも、もう気にしなくていいはずですから」
差し出された手の先で、指先がわずかに震えていた。手を重ねると震えはぴたりと止まり、代わりに彼女の指がしっかりと絡みついてくる。リンは繋いだ手を軽く持ち上げ、周囲に見えるように少しだけ掲げてみせた。
「みんな、こんなに喜んでくれるんですね」
大聖堂の門前まで、あと半町ほど。白い階段の上では、神官らしき人影が鐘楼の綱を引く準備をしている。リンがふと足を緩め、こちらを見上げた。
「――このまま、あそこまで歩いたら。もう戻れないですね、わたしたち」
うん、もう戻らないよ。さぁみんなが待ってる。行こう
大聖堂の中は、外の喧騒が嘘のように静けさを湛えていた。高い天井から差し込む光が、石の床に幾筋もの帯を落としている。祭壇の手前にアルドリックとセラフィーナが並び、その両脇には白装束の神官たちが列をなしていた。
「女神ミレアの御名のもとに、この婚姻の儀を執り行う」
神官が祭壇の脇から古びた誓約の書を取り上げ、開いたページを二人の前へ差し出した。
「新婦の誓いを」
「わたし、エヴェリン・ヴァレモントは、ここにいるあなたを夫として迎え、喜びのときも、苦しみのときも、生涯を共にすることを、女神ミレアの御前に誓います」
昨夜何度も練習した通りに滑らかに続いた声が、最後の一行だけ震えた。そこは紙に書いた文言ではなく、自分の胸の奥から掘り出した言葉のように、ゆっくりと区切って読み上げる。
「……何があっても、あなたの隣にいます。わたしは、そういう妻になります」
読み終えると同時に、誓約の書を持つ指先から力が抜け、目にたまっていたものが一筋こぼれた。老神官が厳かに頷き、書をこちら側へ差し向ける。
「新郎の誓いを」
何があっても、隣にいる。生涯を共にすることを誓う
言葉が石壁に反響して消えるより早く、リンの唇が小さく震えた。零れた涙が頬を伝い、顎の先から滴となって石床に落ちる。
老神官が二人の手を重ねさせ、白い布をその上からそっと結んだ。
「これより二人は、夫婦である」
宣言と同時に、リンは堪えきれずに声を上げて笑った。泣き笑いの顔のまま、結ばれた手をぎゅっと握りしめる。
リン との関係 婚約者 Lv355 / 100 +15
老神官が二人の前に進み出て、銀の杯にゆっくりと葡萄酒を注ぐ。琥珀色の液体が満ちていく音だけが、静まり返った堂内に小さく響いた。
「誓いの杯を。二人で分かち合うがいい」
杯を差し出そうとしたアルドリックの腕が、途中で止まった。組んでいた眉間の力がふっと抜け、何か言おうとして、結局は言葉にならなかったらしい。
「――それでいい」
短く、それだけ。だが声の震えまでは隠しきれていなかった。セラフィーナは扇を口元に当てたまま、堪えきれずに嗚咽を漏らしている。
リンは銀の杯を両手で受け取ると、震える指を抑えるように持ち直し、静かに傾けて唇をつけた。ひとくち喉を通ると小さく息をつき、杯をそっと差し出す。
「――半分、残しました」
杯が二人の間で交わされ、最後の一滴まで飲み干される。
「誓いの杯、確かに分かち合われた。ここに、婚姻の儀、成就せり」
リンは空になった杯を神官の手へ返すと、両手で頬を包むように押さえ、こみ上げるものを堪えるように何度も瞬きを繰り返した。
「終わった……いえ、これから、なんですよね」
関係の変化の提案 リン「婚約者」→「伴侶」承認
宰相ネリラス/軍部統括ガルガル魔王領・首都アルヴヴェイル。主人公は魔王の座にいる
魔王領・魔王城
玉座の間ではなく、地図と書状の積まれた一室。宰相と軍部の長が、占領地と各国の返事を報告に来ている。
で、メルディアの各国からは回答があったのか?
こちらが口を開くと、ネリラスとガルガルの視線がほぼ同時に向いた。封蝋を固めていたネリラスの手が止まり、眼鏡の奥の目がわずかに細まる。
「メルディアの件……ああ、そちらも動いてはおりますよ」
ネリラスは懐から別の書状を取り出した。南嶺砦の統合令とは違う、少し古びた封蝋のものだ。
「グリーンヴェイル王国、トルメア公国へ送った第一便については、到着の報せこそ届いておりますが、正式な回答はまだ。期限は明後日の夕刻でございましたな。臣従か抵抗か、各国とも国内での協議に時間を食っているものと」
ガルガルが太い腕を組み、鼻を鳴らした。
「日和見してんだろ、大方。臣従すりゃ従属国、逆らえば潰される——そんな二択を突きつけられて、即答できる王様なんざそういねぇよ」
「サウスガルド連盟からは、非公式に打診が届いております。盟主シグルド殿より、『期限内に正式回答するが、その前に一度、使者の人柄を見たい』と。臣従の条件交渉というより、値踏みでございましょうな」
(略)
リンは旅装のまま、壁際で交わされる報告に黙って耳を傾けていた。王家の金縁を隠していた旅布も、もう身につけてはいない。
祖国で家族に別れを告げ、愛する男についていくと決めた。それでも、魔王領の統治をめぐる生々しい言葉が飛び交うたび、リンの表情がわずかに曇る。
祖国を敵に回すと決めた以上、どれも遠い国の話として聞き流せるものではなかった。
新魔王の全世界宣戦 Day6メルディア地方 回答待ち
そうか、先日滅ぼしたアスカニアの状況は
「アスカニアでございますか。占拠は完了しており、統治は総督アズラエルに一任してございます。王城の行政・軍事・司法、それに国庫まで、彼の名の下で回っておりますよ、ええ。前女王レイの身柄は王城内で収監継続——民への配給や治安維持には手を出させておりません」
「反乱の芽はまだ見えませんが、征服直後の国というのは、静かなほど裏で何かが動いているものでございます」
言いながら、ネリラスは懐から別の薄い綴りを取り出した。総督からの定期報告らしい、几帳面な文字で埋まった紙束だ。
「前女王の扱いについては、この綴りの三枚目に」
ネリラスは紙をめくり、几帳面な文字の詰まった一枚で指を止めた。
「居所は東翼。外出も面会も書簡も、総督府の許しが要ります。旧臣への指図と、財の移し替えは禁じました」
「飯は」
ガルガルが短く挟む。
「旧王族の水準のままで。医者も付けております。侮辱も私刑も、兵には固く禁じてございます」
ガルガルが太い腕を組んだ。革の胸当てが低く軋む。
「甘ぇな」
「勘定でございますよ、ええ」
ネリラスは紙を綴りへ戻し、卓に落ちた封蝋の欠片を指先で払った。
「あの国が静かなのは、我らの兵が立っているからではございません。退位の日に、あの娘が自分の口で蜂起を禁じたのです。十二で即位して十四年、国璽を握っていた女の言葉が、まだ効いております」
ガルガルの黄色い目が、わずかに細くなった。
「……そいつの気が変わったら」
「変わるほど不足のある暮らしを、させておりませんので」
リンが顔を上げた。何も言わず、また視線を落とす。
ご苦労。次はミレア地方へ侵攻する。ガルガル、兵の状況は?
ネリラスは懐から新しい地図を広げた。すでにアスカニアとメルディア地方を示す印が引かれた大陸図の右側、ミレア地方の広がりへ指を滑らせる。
「ミレア地方でございますか。ヴェルガ帝国、ドルガス公国、ローディス王国……確かに、この地方は世俗と教権が絡み合う厄介な土地でございますよ、ええ。宣戦の前に、地図の整理だけでもお付けしておきましょう」
ガルガルは太い腕を解き、姿勢を正した。呼びかけられた瞬間から、遊びの色は消えている。
「兵の状況か。南嶺砦は統合令が届き次第動ける、それは今しがた片づいた。アスカニア駐留は総督の下で落ち着いてる。残りの本隊は——正直、まだ休ませてねぇ兵が大半だ。砦を守るのと新しい地方へ攻め込むのは話が違う」
「ミレアへ落とすなら、どの規模でいつ、それだけ決めてくれりゃオレは今夜にでも編成組める」
言いながら、ガルガルの黄色い目に武人らしい光が差した。新しい戦の匂いを嗅ぎつけた獣のような、隠しきれない高揚だった。